私の開業物語

私の半生をつづった、人となりがよく分かる

「院長松本の半生」

も是非ご一読ください。

不誠実さが許しがたい

某大手教育系出版社の、知育玩具やステーショナリー部門の社員だった2002年の某日。

「このまま販売を継続します。
印刷ミスについては言って来られた方には対応します。」

ある日の朝礼でのことでした。
私は企画制作責任者が発表したこの言葉に耳を疑いました。

あるメッセージ性の強い商品(グリーティングカード)の英語のメッセージのスペルに印刷ミスが発覚し、その対応を上層部で協議した直後の事でした。

メッセージのスペルはカードの性格上最も重要な部分で、間違いがあったらもはや商品の意味をなしていません。

だから当然市場から回収するものと考えていたのです。

これ以前からも、市場に対してあまり誠実とは言えない傾向がありました。

私が入社してしばらくはそんな会社ではなかったので、その当時の上司の考え方だったのでしょう。

今振り返ってみれば、このような不誠実さを感じ始めた頃から、私の会社員人生は終わりに向かっていたのかも知れませんね。

営業マンとして

私は20年以上にわたり、ある大手出版社の知育玩具・ステーショナリー部門で営業マンをしていました。

営業成績も悪くなかったんですよ。
業界の一部でも少しは知られる存在だったようです。

それが分かったのは、ちょっとした偶然がきっかけでした。

ある時、取引先で商談していると、小学生の頃の後輩k君に偶然バッタリと会いました。

彼は数年後「バウリンガル」などの大ヒット商品を開発した、大手玩具メーカーの異色の茶髪の企画者として、テレビに度々登場し有名になりましたが、この頃は営業マンだったのです。

彼とは小学生の頃、同じクラブチームで一緒に卓球をやっていたのです。

名刺交換をした数日後「販売先を紹介してほしい」と、このk君から電話がありました。

懇意にして頂いていた大手販売店数社のバイヤーを紹介して、2ヵ月後に一緒に食事をした時のことです。

「松本さんって、業界でやたら有名ですよね?あっちこっちで松本さんのエピソードを聞きますもん」

と彼が言います。

「えー、本当かよ?」

とちょっと照れくさい思いでした。

まあ、精力的に業界内を走り回っていましたので、顔だけはそこそこ広かったと思います。

営業成績もそれなりの成果を上げていました。

社内での評価も順風満帆だったのですが、売上至上主義的な当時の会社の考え方に若干の違和感も感じていました。

私は親しい取引先やユーザーとの関係をかなり重視しますので、市場に誠実でいたいという思いが強く(だって、友達は裏切れませんよね?)ある時期から上司たちと意見の衝突が増えて行きました。

誰かの役に立ちたい

そんな状況がしばらく続き、私の心の中では「人から本当に感謝される仕事がしたい」と強く願うようになりました。

少し疲れていたのかも知れませんね。

当初はボランティアを検討しましたが、なかなか実行する時間が取れずに一人悶々とする日々が続いていました。

そんな、人に本当に感謝される仕事への転職を模索していたある日のこと。

妻が「あなたは年配の方にも好かれるし、整体なら良いんじゃない?」と言いはじめ、それから数日後“整体などの専門学校を特集した雑誌”を買ってきてくれました。

それを何となく眺めているうちに、徐々に気持ちが昂ぶってきたのす。

患者さんに「ありがとう」と感謝されて、やりがいを感じて高揚している自分を想像し、益々転職の炎が燃え上がるのでした。

そしてすぐさま、整体の学校一校とカイロプラクティックの学校二校に資料請求しました。

会社員と学生、二足のわらじ

ある晴れた日曜日、午前中に某整体学校、夕方にカイロプラクティック学校の説明会に参加しました。

そして【大川カイロプラクティック専門学院】(以下【大川学院】)への入学を決意し、本気で治療家への道を志すことになりました。

入学当初はまだ会社員でしたので、仕事が終わってから学べる夜間部に入学しました。

しかし営業マンですから出張も多く、急なスケジュールが入って授業に出られないことも度々ありました。

そんな私にとって【大川学院】の有難かったところは、平日の全ての授業を日曜日に一日で再現する「準本科」というクラスがあり、どのクラスでも自由に参加できることでした。

なので、授業に出られない日があった週は、日曜日に「準本科」に出て埋めることができたのです。

結果的にはほとんどの週で日曜日に授業に出ていましたから、入学して会社を退職し、卒業するまでの二年間、休みは全くありませんでした。

しかし私の心の中では、カイロプラクティックを学ぶ事への炎が燃え上がっていますので、辛いとは思いませんでした。

独自の「何か」

会社を退職して修行一本の生活になってからは、収入がありませんでしたので経済的な面で、妻にはずいぶん苦労をかけたと思います。

毎日整体の修業をしながら、自分独自の「何か」ができないか?と模索し続けていました。

ある時、腰痛治療などで評価の高いマッケンジー法を研究していた時の事です。

これをベースにした、独自の「何か」が突然ひらめいたのです。

早速妻を相手に練習を繰り返しました。

そして腰痛や首の痛みの独自の改善方法を構築し、私が目指していた「結果が読める治療」の構築が見えてきました。

これである程度の自信がつきましたので、いよいよ開業に向けての準備に入りました。

私を突き動かしたもの

私が壮快カイロプラクティックを開業した理由は、さほど感動的なものではありません。

多くの治療家が言うような「自分もカイロや整体で救われた」という経験はありません。

正直それまで、体験したことすらありませんでした。

ただ「人の役に立ちたい」という欲求が私を突き動かしたのだと思います。

何よりも「人の役」に立って喜んでもらうことで、自分の存在価値を確かめたかったのかも知れません。

早いもので、もうすでに開業して19年目になりました。

これからも「人の役に立ちたい」という想いを原動力に、自分を磨き続けたいと思います。

「ありがとう」と言ってもらった時の達成感は、何ものにも代えられません。
私の方が患者さんから力を頂いているのですね、きっと。

「人に喜ばれる仕事」を見つけた私は、この先も更に喜ばれるように頑張り続けたいのです。

一人でも多くの悩む方々の問題解決に役立てたなら、こんなに幸せなことはありません。

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